DREAMS COME TRUEのボーカル・吉田美和さんは、多くの女性ファンを抱え、一時期は女性の教祖的な存在でした。
前向きな恋愛ソングなどをヒットさせるなど、多くの女性の恋愛を励ましてきました。
私生活では過去に切ない大恋愛をしており、その経緯から彼女の歌声に説得力と迫力が加わりました。
過去、2度結婚していますが、最初の旦那とは死別、2人目の旦那とは19歳の年齢差からネガティブな意見が飛び交いました。
今日は、吉田美和さんの歴代の結婚についてまとめてみたいと思います。
吉田美和の結婚歴。入籍は一度しかしていない。子供はいない
吉田美和さんは、過去に2回の結婚を経験しています。
最初の旦那とは入籍はしておらず、事実婚という形でした。
期間 | |
1人目の旦那(事実婚) | 末田健(2004年5月〜2007年9月26日)※死別 |
2人目の旦那(婿入り) | 鎌田樹音(2012年3月〜) |
現在の2人目の旦那は婿入りということで、吉田さんは生まれて一度も苗字が変わったことがないということになります。
又、最初の旦那とは死別なので、”離婚”をしたことも一度もありません。
吉田美和は過去の夫との間にも子供はいない
吉田美和さんは現在の旦那さんとの間に子供はいません。
死別した前の事実婚の旦那・末田健さんとの間にも生まれていません。
一時期、お腹が大きくなった姿でステージに立ったことから、
「当時妊婦で、あの後に隠れて子供を産んだのでは?」
みたいな噂がありましたが、まったくのガセネタです。
当時、お腹が大きく見えたのは衣装のせいだったみたいです。
吉田美和は最初の旦那・末田健とは死別。死因は胚細胞腫瘍。略奪の末に事実婚
吉田美和さんは2003年1月に映像ディレクターの末田健さんとの交際が報じられました。
末田健さんはとても有名な映像ディレクターで、浜崎あゆみ、m-flo、大塚愛さん、EXILE、モーニング娘。などのPVを手掛けてきました。
吉田美和さんとの馴れ初めもDREAMS COME TRUEのプロモーションビデオがきっかけでした。
出会ってしばらくして恋仲に発展し同棲していましたが、実は末田さんは既婚者の妻子持ちで、吉田美和さんはそのことを知らなかったのです。
2003年1月に交際が報じられると、吉田美和さんは”どっぷり不倫同棲”だと報じられ世間からバッシングを浴びたのです。
吉田美和さんは末田健さんが既婚者であることを週刊誌にスクープされたことで初めて知り、当時はかなり落ち込んだそうです。
その後も不倫関係を続けていた吉田美和さんは、2003年3月に末田健さんの離婚が成立すると、翌2004年5月に“事実婚”という形で結婚したことを発表しました。
2004年5月のDREAMS COME TRUEのファンクラブのホームページでは、
籍を入れるわけでもないし、でも心意気は「共に白髪が生えるまで」だからさっ!
と、籍入れなくてもは、おばあちゃんになっても一緒に過ごす覚悟を綴りました。
一番目の旦那・末田健とは死別。死因は『胚細胞腫瘍』
2004年5月から始まった吉田美和さんと末田健さんの夫婦生活。
事実婚という形ではありますが、ふたりの幸せをファンは祝福しました。
しかし、白髪になるまで一緒にいようという願いは叶わず、結婚からわずか3年後の2007年9月26日、末田健さんは33歳という若さで死去したのです。
結婚してわずか3年で死別してしまったということです。
吉田美和の最愛のパートナーである末田健監督が、2007年9月26日16時15分、胚細胞腫瘍で亡くなりました。
まだこの世に生を受けて33年しか経ってないのに、何かを急ぐように、次の世界に旅立ってしまいました。
ドリカムの20周年に向けて、末田監督にしか撮ることのできない吉田美和の長編ドキュメンタリーを作ろうと、あんなに張り切っていたのに、昨年末から着々と撮り進めていたのに、完成を見ることなく逝ってしまいました。
死因は『胚細胞腫瘍』でした。
『胚細胞腫瘍』とは30歳頃までの若い男性に発症することが多い癌で、脳にできた場合は意識障害など重篤な症状を引き起こすと言われております。
末田さんは亡くなるまでに意識障害や頭痛・嘔吐などの症状があったとのことで、脳にも出来ていた可能性が高そうです。
旦那が倒れた時期に大規模ツアー。ライブと看病を不眠で続ける。ツアー完走後に死去
2007年9月26日に33歳の若さで亡くなってしまった吉田美和さんの旦那。
吉田美和さんは旦那が亡くなる直前まで看病をしていたそうです。
頭痛や意識障害、嘔吐といった症状を訴える末田さんのため、吉田は自宅に医療機器を設置して必死の看病に努めた。
末田健さんは亡くなった同年の8月に病状がみるみる悪化し緊急入院。
入院したばかりの時期、吉田美和さんは4年に1度の『ドリカムワンダーランド』を控えていましたが中止も考えたそうです。
しかし、病床の末田健さんから「ツアー楽しみにしているよ!頑張って!」言われたことで、開催を決意したのです。
吉田美和さんは病室とコンサート会場を往復する不眠不休の状態ながら2007年9月23日に最終公演まで走り切りました。
当時のツアーで吉田美和さんが涙を見せるシーンが多く、旦那のことがありながらも壮大なラブソングの数々を歌う胸の内を考えると当然だったのかもしれません。
最終公演後にはその足で病院に向かい、旦那に付きっきりの看病を続けました。
しかし、吉田さんが9月23日にツアーを完走すると、末田健さんは安心したかのように3日後の9月26日に息を引き取ったのです。
吉田に見守られながら末田さんは息を引き取り、病院の廊下には死別を受け入れられない吉田さんの絶叫が響きわたったそうです。
死去後に歌えなくなるが亡くなった旦那との約束の為にレコーディング。追悼曲『ANDILOVEYOU』を泣きながら収録
旦那を亡くしたばかりの吉田美和さんは精神的にダメージを受け、まとも歌うことができませんでした。
しかし、生前の末田健さんと交わした、
「一緒に旅行した際に完成させた曲を07年のクリスマスまでに発売させる」
という約束を実現させるため、アルバム制作の為に動き出したのです。
映像ディレクターでもあった夫、末田健(享年33)との約束があった、と番組は報告。2006年にドリカムと末田はプロモーションビデオの撮影のため世界中を旅行、その際に完成していた曲を収録したアルバムを07年のクリスマスまでに発売しようと話し合っていた。その予定していたアルバムに、夫を追悼する「予想外」の新曲が加わった形だ。曲のタイトルは「ANDILOVEYOU」。1分52秒の短めの曲だが、吉田は収録時、歌詞を1行歌うごとに涙をあふれさせていたという。
そのアルバムは旦那と約束した2007年の12月までに発売され、無事に約束を果たすことができました。
発売が実現しただけでなく、そのアルバムの中に当初は予定されていなかった末田健さんを追悼する新曲『ANDILOVEYOU』も収録されました。話題となりました。
末田さんのために急遽追加した「ANDILOVEYOU」は短い曲ですが、吉田さんはレコーディングの際、歌詞を1行歌うごとに涙を流し、なかなか進まなかったそうです。
吉田さんの相方・中村正人さんはアルバムが発売される前、ドリカムの公式ブログに”末田健さんに捧げます”と綴っています。
スーくん。
「ア・イ・シ・テ・ルのサイン〜わたしたちの未来予想図〜」を、スーくんに捧げます。たとえスーくんと吉田が別々の世界にいようと、ふたりのアイシテルのサインはお互いに届いていると信じています。だから、どうか、吉田を見守ってください。吉田がスーくんに触れることができなくても、彼女が歩き出せるよう力をください。できたらいっつも吉田のそばでうろうろしていてください。
僕は、吉田がこの歌をまた歌える時がくるまで、静かに待ちます。
中村正人さんは、吉田美和さんの傷が癒えるまで活動を控えると記述、これからも側で吉田さんを支えてくださいと天国の末田さんにメッセージを送りました。
2人目の旦那・鎌田樹音(JUON)とは19歳の年齢差で婿入り。格差結婚に不倫や離婚の憶測も・・・
吉田美和さんは2012年3月21日に、公式ブログで鎌田樹音さんと2012年3月8日に結婚したこと発表しました。
芸名 | JUON |
本名 | 鎌田樹音 |
生年月日 | 1985年3月8日 |
出生地 | 沖縄県 |
出身地 | 東京都 |
血液型 | AB型 |
著名な家族 | 嫁:吉田美和。母:りりィ(歌手)。叔父:前田達也(作曲家) |
所属 | ファジー・コントロール |
サポート | 稲葉浩志。スガシカオ。DREAMS COME TRUE。 |
結婚発表当時は、吉田さんと鎌田さんの19歳の年齢差と収入格差で話題となりました。
DREAMSCOMETRUEのボーカル・吉田美和(46)が、ロックバンド、FUZZYCONTROLのボーカル&ギターで19歳年下のJUON(ジュオン)(27)と結婚したことが21日、分かった。吉田が滞在中の米ニューヨークから自身のブログを更新し、8日に婚姻届を提出したことを明かした。
婿養子という形での入籍だったのですが、その理由としては、
”吉田美和という名前を守りたかった”
とのミュージシャンとしてのリスペクトから、あえて婿養子にしたそうです。
「JUONくんとしては、“吉田美和”という偉大な名前を守りたいという思いと“身も心も全部あなたに捧げます。オレがあなたを守ります”という誓いの意味を込めて“婿入り”を申し出たそうですよ。さすがにこれには吉田さんも“彼は本気で自分を愛してくれている”“彼ならもう一度愛しても大丈夫だ”と心が動き、プロポーズを受けたんです」
また、吉田美和さんをサポートし続け、”吉田美和さんにすべてを捧げたい”という決意の意味もあるようです。
前の旦那との死別以降、恋愛をする気にならなかった吉田美和さんですが、鎌田さんの本気度に押され、「彼ならもう一度愛しても大丈夫」と心が動いたのです。
鎌田樹音と吉田美和の馴れ初めはドリカムのサポートや作曲現場
吉田美和さんと鎌田樹音さんの馴れ初めは音楽の現場です。
鎌田樹音さんは”JUON”という名義で”FUZZY CONTROL”というバンドに所属しており、そのFUZZY CONTROLがドリカムのライブツアーでサポートを勤めたり、楽曲制作に携わったりしていました。
吉田美和さんと同じ事務所に所属しており、ドリカム専用のサポートバンドというイメージでした。
主に2009年に同じ音楽の現場を共にして急接近し、同年の紅白歌合戦では吉田美和さんと共演もしました。
現在までに子供は生まれず。再婚当初は格差結婚から離婚も憶測された
2012年に結婚した吉田美和さんと鎌田樹音さんですが、新婚当時は19歳の年齢差が発端で離婚するのでは?と噂されていたようです。
しかし、二人は相変わらず仲良く共演する姿が続き、夫婦仲はずっと良好なようです。
2016年に鎌田樹音さんの母”りりぃ”さんが亡くなった際、2人で寄り添って葬儀に参列しています。
鎌田樹音さんは2019年に出演したラジオ番組でも嫁・吉田美和さんのことを積極的に話すなど、今でもラブラブであることがわかっています。
新婚当時に言われた、年齢差や収入格差などの問題はまったくなさそうです。
そもそも馴れ初めがドリカムのサポートなので、そこに余計なプライドがないのは当たり前ですね。
ncG1vNJzZmiqn5i4brrOrZxnm5%2BifKW70aKimqWlZMawv8idmKahp5Z6pa3Np5hmn5Wjx6K1jKygm52kqnqsu8OopKhn